国家の品格について(4)(お陰様)
2006年1月21日
宇佐美 保
先の拙文《国家の品格について(3)(天の配剤)》に於いて、次の点を記述しました。
藤原氏は、次のような見解です。
数学の世界では、出発点はいつも、何らかの公理系です。公理というのは万国共通です。東西で寸分の違いもない。世界中のみなが同じ出発点を使っています。したがって何の心配もなく、論理的に突き進むことが出来る。 しかし現実の世の中に、公理系というものは存在しません。 |
しかし、私は、次のように書きました。
この“理由も説明も不要!いけないものはいけない!”として、私達が受け止めなければならない事は、 「公理」は、数学の世界に限定されること無く、現実の世の中にも存在するのです。 藤原氏の訴える「卑怯はいけない」は、「万国共通の公理」ではありませんか!? |
なのに、藤原氏は、次のように記述しています。
論理とか合理を否定してはなりません。これはもちろん重要です。これまで申しましたのは、「それだけでは人間はやっていけない」ということです。何かを付加しなければならない。その付加すべきもの、論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの、それが日本人の持つ美しい情緒や形である。それが私の意見です。 |
そして、“この「論理とか合理」以外に必要な「美しい情緒や形」を育むものが、「武士道」である。”との見解ですが、私は、この「武士道」も「公理」だと認識するのです。
何故なら、藤原氏が推奨する新渡戸稲造の『武士道』には、
“「武士道」は壮大な倫理体系のかなめ石” |
と記述されているのです。
その上、そもそも、この書(『武士道』)は、欧米の宗教に対応する、日本人の道徳の礎としての「武士道」を紹介しているのですから。
欧米人にとって宗教が(藤原氏が認めない)「現実の世の中に、公理系」であると同様に、「武士道」も又「日本人の道徳の礎」即ち、「現実の世の中の公理」ではありませんか!?
そして、私にとっての「現実の世の中の公理」は、次に掲げるお釈迦様の教えです。
あたかも、母が己がひとり子を身命を賭しても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)心を起こすべし。 出典:「スッタニパータ」149 (『仏教のことば生きる智慧(中村元:編著)』より) |
私が幼い時、母は
“白金も 黄金も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも” |
と、私の眉毛を指でなぞりながら、いつも私に語り掛けました。
私が勤務した「ニチアス(当時「日本アスベスト社」)」で、初めて協力者を預かる際、上司の小松原将課長は私に告げました。
“彼のお母様は、毎朝、今日も無事に会社勤めが出来るようにと送り出し、 又、帰宅するまで、 一日中、彼の無事を祈っている事を、決して忘れないように!” |
と
そして、母の言葉と、小松原課長のお言葉を忘れません。
(この大切な教えを授けて下さった小松原課長に、仕事上で恩返しが出来なかった点が悔やまれてなりません。)
ですから、先に掲げたお釈迦様のお言葉は私には絶対的な公理なのです。
そして、このお釈迦様の教えと同じ主旨のキリストのお言葉
“汝の隣人を愛せ” |
です。
私は、「家族愛」を一番重要とする藤原氏の見解には違和感を抱きます。
「家族愛」に関しては、今から、25年ほど前の公営プールのロッカー室の出来事を思い出します。
そこでは、子供が濡れたタオルを振り回しながら濡れた体を拭いていました。
そして、その子からの沢山の水しぶきが私の服を濡らしました。
その子の横に居る父親は何も注意しません。
ですから、“こっちまで水が飛んでくるから、注意してね”とその子に言いました。
その子は怪訝そうに私を見ました。
そしたら、父親が“ここでは、周りに水を飛ばしたらいけないんだってさ!”と、その子に言いました。
そして、二人は、非難がましい眼差しを私に向けました。
私の心は落ち込み、早晩日本は駄目になる、こんな日本をおさらばしてイタリアに移住したい!と私は思ったのでした。
どんなに親子の絆が強くなろうと、又、藤原氏が最重要視する「家族愛」が育まれようと、先に掲げた「お釈迦様の言葉」、「キリストの言葉」なくしては、それらの愛は、(かえって強ければ強いほど)内にこもるだけで、藤原氏が最終的な到達点と位置づけた「人類愛」に達する事はないと私は感じているのです。
私の町内では、何組かのお隣同士が対立しています。
一番身近な他人が一番問題を起こします。
些細なことでも一大事となります。
お隣の庭木の葉っぱが数枚我が家の庭に落ちてくる!とかの類で対立しています。
でも、対立されている家庭では、夫婦仲は大変円満なようです。
(まるで、共通の敵を持つことで互いの絆が強まるかの如くに)
そして、私も、お隣に迷惑のかけっぱなしです。
ですから、私が常々気にかけている事が一つあります。
「出かける前に忘れずに」です。
そうです、出かける前に、自宅前の道を掃くと共に、向こう三軒両隣の前の道も掃かせて頂くよう心掛けています。
それから、懇意にしている秋葉原の電気店に注文品を送って貰う時、「私が不在の際は、ご近所に預けて下さるように宅急便(宅配便)の宛先に私の住所と共に書き添えて下さい」と依頼しています。
(ですから、その店のアドレス帳には、私の住所氏名と共にその注意書きが併記されています)
だってそうではありませんか?!
私の不在の度に、宅配便のトラックが何度も行き来するなんて不経済でエネルギーの無駄使いです。
隣家に宅配便の荷物を預かって貰えない今の日本はおかしくはありませんか?! |
“隣りは何をする人ぞ?”のままでよいのでしょうか?
(勿論、お隣のプライバシーに立ち入る事は失礼で不要ですが)
お隣同士の結びつきが、私達の社会の安全と平和を維持するのではないでしょうか?
タモリ氏はフジテレビの番組「笑っていいとも」で
“友達の友達は、又、友達、世界に広げよう友達の輪” |
と言っていました。(最近は?テレビを見ないので分りませんが)
私は、
“隣人の隣人は、又、隣人、世界に広げよう隣人の輪” |
が世界中に広がることを夢見ています。
なのに、愛情欠乏症(?)の小泉首相は、
“日米関係が良ければ |
との寝言如きを、吐き続けています。
日本は、先ずは隣国である中国韓国との友好関係を築き上げて行くのが順序ではありませんか?!
中国韓国は、私達日本の文化の恩人ではありませんか?!
なのに、藤原氏は次のように記述しています。
・・・五世紀から十五世紀までの中世を見てみましょう。アメリカは歴史の舞台に存在しないに等しい。ヨーロッパも小さな土地を巡って王侯間の抗争が続いており、無知と貧困と戦いに彩られていました。「蛮族」の集まりであったわけです。 一方、日本は当時すでに、十分に洗練された文化を持っていました。文化的洗練度の指標たる文学を見ても、万葉集、古今集、枕草子、源氏物語、新古今集、方丈記、徒然草……と切りがありません。この十世紀間における文学作品を比べてみると、全ヨーロッパが生んだ文学作品より日本一国が生んだ文学作品の方が質および量の両面で上、と私は思います。 |
欧米文化と日本文化だけを比較すれば、上記の藤原氏の見解通りでしょう。
しかし、その日本文化は、中国文化の恩恵を多分に受けていた点を藤原氏は無視しています。
高校時代に学んだ「枕草子」からも、当時の日本の文化人には中国(唐)文化の素養が不可欠であった事が分ります。
ですから、日本の文化を自慢する前に、「中国文化のお陰で」という「お陰様」の心を持つ事が必要だと私は思っているのです。
私は、この「お陰様」の心が大好きで、この心を忘れないようにと常に心掛けています。
しかし藤原氏には、この「お陰様」の心とは無縁のように私は感じるのです。
ですから、天才数学者ラマヌジャンに関して、次のようにも記述しています。
高卒だったラマヌジャンは、「夢の中で女神ナーマギリが教えてくれる」と言って、次々に定理や公式を発見しました。ついにはケンブリッジ大学に招かれ、第一次大戦下のイギリスでいくつもの画期的論文を発表しました。招脾してくれたハーディ一教授の研究室に、毎朝半ダースの新しい定理を持参したと言われます。・・・ ラマヌジャンの場合は、カースト制度が彼の天才性を育んだとも言えます。 ・・・ バラモンは精神性を尊び、お金を低く見る。だから、カーストのトップに位置していても、貧しい者はいくらでもいます。ラマヌジャンの家もものすごい貧乏で、お母さんが近所にお米を恵んでもらいに行くほどでした。 ただ、ものを恵んでもらうにしても、乞食の態度とは大分違います。傲慢なのです。 「オレはいつも非常に精神性の高いことを考え生活している。だからお前はオレに米を恵む義務がある」くらいの態度です。「すみませんが、お金がないので少しわけて頂けませんか?」という感じではありません。 ・・・ これがあったからラマヌジャンは、十七歳から二十三歳までの六年間、働きもせず、いつ職につけるとの当てもないまま、明けても暮れても数学に打ち込むことができたのです。 |
この「ラマヌジャンの場合は、カースト制度が彼の天才性を育んだ」とか「ものを恵んでもらうにしても・・・傲慢なのです」等は、藤原氏の解釈です。
この件に関しては、“一つの厳然たる真実でも、見る人(解釈する人)によっては全く異なってしまう現実を明確に提示してくれた”
黒澤明の名作映画『羅生門(芥川龍之介原作)』 |
を思い出します。
ですから、私は「ラマヌジャンの天才は、彼に多くの物を恵んでくれた人達への感謝(「お陰さま」)の気持ちが、彼を数学へと打ち込ませた結果である」と解釈したいのです。
(乞食の態度がどうかは私には分りませんが、勿論、卑屈な態度である必要は全くありません。ただ「お陰さま」の心を持ち続けていたと解釈したいのです。)
と申しますのは、私は、「お陰さま」の心を持ち続ける事で、その恩にいつの日か報いる事が出来たらと思い続ける事で、より自分の力を発揮できるタイプの人間ですから。
ところが藤原氏は次のようにも書かれています。
そうした「論理的に正しい」ものがゴロゴロある中から、どれを選ぶか。その能力がその人の総合判断力です。それにはいかに適切に出発点を選択できるか、が勝負です。 別の言い方をすれば「情緒力」なのです。 もちろん世界中の人間の脳の九九%は、利害得失で占められています。私も偉そうなことを言い続けていますが、いつも利害得失を考えています。 ただ、人間が利害得失にこだわるということは、もう仕方のないことです。人間には生存本能というものがあって、利害得失で動くよう遺伝子レベルで組み込まれているのですから。しかし、残りの一%を何で埋めるか、これが非常に重要なのです。 |
ラマヌジャンと、カースト制度の関係を如何に解釈するかは、藤原氏の此処での記述の通り「情緒力」であると存じます。
しかし、“人間が利害得失にこだわるということは、もう仕方のないこと”と断定してしまう藤原氏の態度を奇異に感じます。
藤原氏は欧米に比べて日本の良さを、数々記述されておられます。
なのに何故、この件に関しては欧米的視点に立って論じているのか?と不思議でなりません。
確かに、(テレビなどの知識からですが)、米国では小学校から、ディベートの技術を磨いているそうです。
このディベートに関しては、オーム真理教の上祐氏(ディベートの達人と言われていた)のテレビでの自己正当化一方の発言を思い起こします。
ディベート(広辞苑より) あるテーマについて肯定側と否定側とに分かれて行う討論。ジャッジが勝ち負けを宣する場合もある。 |
ところが、従来の日本人は、決して自己を最後まで主張せず、ある程度のところで論を止めて“まあまあ〜〜!”の線で両者妥協して結論を引き出してきたのです。
この事は、論を徹底的に進めても互いの自己主張でしかないことを日本人は肌で感じていたのではありませんか!?
先に掲げた、黒澤明の『羅生門』の例を挙げるまでもなく、一つの事実でも、見る人(解釈する人)によっては全く異なった解釈が可能である事を日本人は肌で感じています。
ですから、彼ら議論の欠点を補う意味からも、日本人の心には「お互い様」の気持ちが常に存在していたのではありませんか?!
そして、この「お互い様」の気持ちが、「相手の立場に立って考える心」を形成してきたのではありませんか?!
この事によって「人間が利害得失にこだわる弊害」から「自己主張のみに陥る危険性」を日本人は回避してきたのではありませんか?!
そして、この「相手の立場に立って考える心」(お互い様の心)を持ち合って、互いに進歩発展して、「お陰様」の心がお互いの心に自然発生していたのではありませんか!?
このような日本の良き慣習を無視して、藤原氏は「情緒力」の重要性を説かれていますが、私は藤原氏の「情緒力」にも疑問を抱くのです。
例えば、次の「ラマヌジャンが育った町」についての記述です。
美の存在しない土地に天才は、特に数学の天才は生まれません。 ・・・ マドラスから南へ二百数十キロ、運転手を雇い六、七時間もかけてガタゴト走り、ラマヌジャンが育ったクンバコナムという田舎町に着きました。びっくりしました。その周辺に、恐ろしく美しい寺院がいくつもあるのです。寒村にまでとてつもなく豪壮な美しい寺院がある。 ・・・ 聞いてみると、九世紀から十三世紀にかけて、このあたりにはチョーラ王朝というのがあって、この富裕な王朝の歴代の王様たちがかなり変わっていて、金に糸目を付けずに、競うように美しい寺院を造りまくったのです。 クンバコナム近くのタンジャブールで見たブリハディシュワラ寺院は、本当に息を呑むほどに壮麗でした。この寺院を見た時、私は直感的にこう思いました。「あっ、ラマヌジャンの公式のような美しさだ」と。 |
でもおかしくはありませんか?
「ブリハディシュワラ寺院」が、どんなに美しかろうと、所詮は人工の美です。 |
私達、都会に住む人間は、自然の美にはほとんど触れません。
でも、雲の美しさや、かすかに見える星空の美しさなどにも感動します。
道端の雑草にも。
そして、人によっては、六本木ヒルズの建物を美しいと感じるでしょう。
藤原氏は、日本の紅葉は、外国のそれより繊細だから美しい旨も書かれていますが、私はイタリアで見た紅葉の美しさが今も目に焼きついています。
それは、とある一軒の白い外壁の一部を這い上がっている蔦が真っ赤に紅葉して、白壁共々秋の夕日を浴びて輝いている景色です。
この場合には、紅葉の日本的な繊細さは不要です、真っ赤であればあるほどに、白壁との対比が美しかったのです。
でも、日本では京都円通寺の紅葉から受けた感銘を忘れることは出来ません。
かって、私は、木肌の美しさを愛でることなくペンキを塗ってしまうアメリカ人の無神経振りを嫌っていました。
しかし、アメリカの広大な平原を自動車で移動中に、原色のペンキを塗りたくった一軒家を遠くに目にした時には、「自然の大きさに肩を並べようとするが如きのペンキ塗りの家」に感銘を受けました。
勿論、日本の田舎の風景には、かやぶき屋根の家がマッチしている事は言うまでもありません。
(でも、かやぶき屋根は、過去のものとなりつつあるのでしょうか?)
更に、藤原氏は、「日本の四季は格別である」旨を主張していますが、イタリアにも「四季」があります。
ビバルディの有名な「四季」の題名のついた名曲もありますし、私の大好きなピザはクァトロ・スタジオーニ(四季)です。
そして、夏のベネチアをほっつき歩くと、強い日差しの為、ぶっ倒れそうになります。
そんな時、石造りの教会に、一足、入れば冷たい空気が疲れを癒してくれます。
更に、冬、霧の中のベネチアは実に幻想的です。
(夏の世界とは全く異なるのです。)
その上、年と共に寒がりになってきた私は、冬の無い、常夏の国に憧れています。
ですから、藤原氏のように、「日本的な美が欧米の美より秀でている的発想」は、日本画と洋画(油絵)の優劣を比較するようなものです。
どちらの絵にも美があり、又、どちらの絵からも感銘を受けます。
更に、藤原氏は、「祖国愛」の重要性を説き「ガーナ人でガーナを愛さない奴がいたらブツ飛ばします。韓国人で韓国を愛さない奴がいたら張り飛ばします。」と記述しているのですから、藤原氏流に言えば、ガーナ人は“ガーナ人が一番優れた国民で、ガーナの自然こそが一番素晴らしいのだ(人間形成の為にも)、従って、これからの世界は、ガーナ人の心を見習うべきだ!”、又、韓国の人も同様な台詞を語ってしかるべきです。
そして、又、藤原氏は「国際人」に関して次のように記述しています。
とにかく国語です。一生懸命本を読ませ、日本の歴史や伝統文化を教え込む。活字文化を復活させ、読書文化を復活させる。 それにより内容を作る。遠回りでも、これが国際人をつくるための最もよい方法です。 この「日本の歴史や伝統文化を教え込む」事が、「国際人をつくるための最もよい方法」である根拠として次のような逸話を記述しています。 ロンドン駐在の商社マンが、あるお得意さんの家に夕食に呼ばれた。そこでいきなりこう訊かれたそうです。 唖然としていると、 「元寇というのは二度あった。最初のと後のとでは、何がどう違ったんだ?」 そう訊かれたそうです。その人が言うには、イギリス人には人を試すという陰険なところがあって、こういう質問に答えられないと、もう次から呼んでくれないそうです。 「この人は文化の分からないつまらない人だ」となる。 すると商談も進まなくなってしまうらしい。 |
私は、この種の逸話は大嫌いです。
「人を試すという陰険」さは嫌いですし、元寇に関する質問は、日本の文化を尋ねているより、日本に対する知識のテストではありませんか!?
知識ではなく、真の文化を語り合うべきではないでしょうか?!
私は、2度の元寇の相違点を答えることはできません。
しかし、元寇に関しては、例えば、JR東海の駅などに置いてある『まるごとガイド奈良 早春の巻』に於ける、西大寺の執事長佐伯龍幸さんの「平和と幸福の象徴である愛染明王坐像」についてのお話に心を惹かれます。
愛染明王坐像は、鎌倉時代に西大寺を復興した叡尊上人が自ら住む僧堂に祀っていた持仏でありました。叡尊(えいそん)は、武士が台頭した時代にあって、平和を願い、庶民の救済のために今でいう福祉活動に力を注いだ僧でした。だからこそ煩悩を浄化し、愛を衆に及ぼすという愛染明王に祈り続けたと思われます。蒙古軍が来襲した弘安の役のおりには、叡尊は亀山上皇の命を受け、京都の石清水八幡宮にこの愛染明王坐像を祀り、奈良と京都の僧約560人を集め、国難排除の祈願を行ったと記録にあります。そのとき、敵も味方も仏性をもつ人間だから、誰も傷つけることのないよう蒙古軍に帰ってほしいと祈ったそうです。秘仏愛染明王坐像の開扉時は、同じ愛染堂で叡尊80歳の肖像像(興正菩薩坐像、重文)も公開になります。時代を超えた哲学を貫いた叡尊は厳しくも澄んだ表情で、今もなお私たちに多くのことを語りかけてきます。・・・ |
この佐伯龍幸さんのお話の「敵も味方も仏性をもつ人間だから、誰も傷つけることのないよう蒙古軍に帰ってほしいと祈った」との件が、私は大好きです。
このような日本人の心をイギリス人に発信する事が大切なのではありませんか!?
「国際人」という人達が存在するとしたら、そのような方々は、互いの知識をテストし合うのではなく、互いの心を語り合うのではないでしょうか?!
そして、藤原氏の次の逸話も大嫌いです。
私にも苦い経験があります。ケンブリッジ大学で研究生活を送っていた時のことです。 数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を取ったある大教授と会って、自己紹介をしました。すると、挨拶もそこそこに、その大教授はこう訊いてきました。 「夏目漱石の『こころ』の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何か関係があるのか」私はもちろん、『こころ』も三島の主要な作品も読んでいましたが、こんな質問にいきなり答えられるだけの用意はありません。しかもそれを英語で説明しなければならない。武士道か何かを持ち出して、「死の美学」について乏しい知識を動員して、何とかごまかしたのですが、彼が納得したかどうか自信はありません。 |
「数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を取ったある大教授」が「真の国際人」だとしたら、初対面(藤原氏)の人に恥をかかせることに細心の注意を払ってしかるべきです。
即ち、「相手の立場に立って考える心」を持っていてしかるべきです。
藤原氏が「夏目漱石の『こころ』」を読んでいるのか、又、藤原氏が「三島由紀夫の自殺」の詳細を知っているかは、分らないのですから、大教授は「夏目漱石の『こころ』の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何か関係があるのか」といきなり質問するのではなく、先ず「夏目漱石の『こころ』の中の先生の自殺」の経緯、「三島由紀夫の自殺」の経緯を大教授ご自身なりに説明し、且つ、ご自身の見解を披露してから、藤原氏に質問するのが、「真の国際人」だと私は信じているのです。
私は、日本文学よりも、チャールズ・ディケンズ著の『大いなる遺産』が好きでした。
(又、ロシア文学:ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』等々)
そして、藤原氏は日本文学に疎くても、若しシェークスピアが好きでしたら、逆に大教授にその件での質問をされたら良いのではありませんか?!
「真の国際人」が、自国の文学等の知識に秀でた人だとしたら、百科辞典を組み込んだICを頭脳にでも埋め込む技術を開発したら如何でしょうか?!
いや!そんなことをしなくても、インターネットで調べれば日本人にわざわざ聞かなくても十分な日本文学に対する知識を得る事が出来ましょう。
そんなことよりも、「真の国際人の交流」は、「自国の知識の交流」ではなく、「心と心の交流」ではありませんか?!
藤原氏が「真の国際人」であったのなら、「イギリス人には人を試すという陰険なところがあって、こういう質問に答えられないと、もう次から呼んでくれないそうです」と言う陰険なイギリス人に対して、「相手の心を思い遣る日本人の心」を降り注いで来たら良かったのに!と思わずに居られません。
更に、自己の正当性のみを主張して「相手の心情を斟酌しない」小泉氏に首相の資格があるとは思えません。
悲しいことです。
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